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2007-04-24

人を思いやれる人とそうでない人

この仕事をしていて思うのは人を思いやる人とそうでない人。

この両極端をくらべればもちろん『思いやる人』の方が誰だって

好感は持てるし、もちろん正しい。

さて、まず極端に思いやれない人ってのは

だいたいが『自分は正しい、悪くない!』と言い切る。

それはそれで凄いですよね。

自分が悪いとしても『相手が悪い』と言い張るのですから。

でもその反面『人の意思を受け付けない』というものがあるので

言い換えれば「人の念も受け付けない」ということで、

生霊やマイナスエネルギー的にはまったく受け付けず問題はないでしょう。


だから友達がいないとしても、そういった自分を苦しめるものはないですから

ある意味『幸せ』なのかもしれませんね。

しかし・・・心から本当に『友達』と呼べる人はいないでしょうけれどね。



逆に思いやれる人というのは、いつも気遣っているし

人の心配をするので、常に相手にピントを合わせているのです。

だから、相手のマイナスを一緒にもらってしまいます。


しかしいつも優しい心を持っていますから、前者と比べて

慕う人、友達はとても多いでしょうね。


この状態を見ても結局は『ブラスマイナスゼロ』の世界です。

苦労している分報われることがあるし、苦労してない分報われないことがある。

自然の法則ではありますけれどね。




でも結果的にはどちらがいいかは、それぞれの考え方があるわけで

皆さんがそれぞれ考える結果が答えだと思います。


しかし結果は一目瞭然であるといえます。


それからマイナスの人の特徴として

『どうせ私は駄目だし・・』『こんな人間は嫌いだろうし・・』とか

『生まれてこない方がよかった人間だ』などと

まず『自分』が『自分』を否定します。


自分を否定して自分を嫌いであれば、

なおさら『他人』が好きになるはずがない。

ましてやだらだらと自分の過去がどうだとか後ろ向きの事ばかり

聞かされれば誰だって嫌になるばずですよね。


そういう人は『自分で自分を幸せにしよう!』という心がない人であると

思いますが、皆さんどう思われますか?

自分を幸せにするのは『自分』しかいないのですよね。

幸せな結婚をしたいと思うのなら、まず相手に愛される価値のある

『自分』を作らなければ駄目。

女性であれば『花嫁修業』も大事でしょうし、

やはり人として『愛される』事が大事です。


よく子供が親に対して「うちの母親は料や家事は上手でなかったけれど

人として素晴らしい人だった」と。

そういうものが大事であると思います。

つまり一生懸命自分の持てる愛で接した結果だといえます。


昔は自分の子であろうと、人の子であろうと構わず怒って注意をしたものです。

しかし今はそういう時代でなくなったといいます。

でも・・・それがむしろ間違いであるのですね。

『悪い事を悪い!』としからないから今の子はわからないのです。

つまり悪い事も些細な事から始まるのであって、

それがどんどん積み重なれば、大きなものになっていくのです。

誰も注意しなければどんどんエスカレートするばかり。


よく考えてみてください。

今から30年前とかに子供が殺人などの犯罪を犯すなんて事はなかったはずです。

いまはそれだけでなく、子が親を、親が子をと考えられない世の中です。


殺人をしてしまった子供は『こんな事になるとは思わなかった』などと

あとで後悔するばかり・・・


よくことわざで『知らない事ほど怖いものはない』といいます。

知らないという事は・・・最悪本人だけでなく

その家族など周りの人など多くを不幸にします。


しかし今の世の中は不幸かな今子供を育てている親自体が『子供』であって

ちゃんと躾けられていない親がとても多いということです。


いくら警鐘を鳴らしたとしても『親』がおかしければ

子も同じ運命をたどってしまうのですね・・・


何が大事なのか??

しっかり心で感じるものを受け取り人として

正しく生きていく事が大事なのだと思います。


回りがそうだから。。。と流されてはいけません。


正しく生きて欲しいですね・・・・
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2007-04-20

気がつく

さてさて人間は気がつくってとても大事ですね。

またまたメールの紹介です。

 ~ ~ ~

昨日のブログの「頭と心の戦い」、とても心にしみました…。

> 人間としての『自分』を守るためであって、悪気があるのではないのです。
> でもその習慣がついてしまい、『信じられる人』までも信じられなくなって
> しまうという事も起こります。

10代の頃から、自分を守るために、自分の心をがんじがらめに縛りつけて、人を
信じられなくなっていたのだと思います。
「人を信じたい」と求める気持ちと、「信じられない」気持ちの葛藤で、とても
苦しかったです。

なにより、「自分を信じて」いませんでした…。
自分が生きて、存在していることすら罪悪だと、そう思い込んでいたんですね…。
何回か、自分の人生を止めようとしたこともありました。σ(^◇^;)


> どんなに自分を追いやっても、最後は『求めている』のですね。

「自分は生きている価値などない」と考えながらも、心はずっと「私は生きたい!」
と叫んでいました…。(/_;)


> どんな人でも必ず世の中に『信じられる人』がいるはずです。
> それが、どこか遠くにいるかもしれません。
> しかし諦めないことです。そうすればきっと現れるのです。

自分で自分を追い込み苦しめているとは、
全然気づかずに、悲しくて苦しくて不安でいっぱいだった私に
与えられたのは、猫だったんです。
人間では、私が「信じられない」と、神さまが動物をそばに
配してくれたのだと思います…。
その猫が、お会いしたときにケータイ画像でお見せした、猫なんです。

そこまで、当時の自分が「人を信じられない」状態だったことに、
今日気づいて、いっぱい泣きました。
苦しみの涙ではなくて、そのときの自分の悲しみを思い、
そこまで自分を追い詰めてしまったことを許したい気持ち、
それに来てくれた猫と、神様に感謝する気持ちです。

猫とは、心から信じ合えました。(^^ゞ
長い間変わらずに、「あなたは大切な人だよ、大好き!」と、
伝え続けてくれました…。

そうやって、孤独だった心に寄り添って、励まし続けてくれました。
「自分がいなくても、もう大丈夫…」と、猫が感じられるまで、長年守ってくれ
たのです。(それだけ、私の心が頑なだったということですが…^^;)

猫は亡くなりましたが、思い出すとき、生前と変わらずあたたかい満ち足りた気
持ちになります。

生きることを投げ出そうとした私にも、こんな配慮をして下さる…ありがたいで
す。
今、心底「人生を諦めなくてよかった」と思えます~!


> 前回生まれ変わりで『ペア』という存在もありますが
> よく生まれ変わりの中で必ず助けてくれる存在、親子や家族などの存在が
> 必ず周りにあります。

まさに、私を助けてくれる存在でした…。
猫の生まれ変わりとか、前世からの繋がりがあるのか知りませんが、確かに魂の
深いところで繋がっている気がしています。(^^ゞ
こんなことって、ありますか…?
もし違っても、自分がそう信じて幸せなら、それでいいんです~。(笑)

猫はきっと「今頃気づいたのかよぉ~、遅いんだよ」って、ちょっと自慢気な顔
をしているような気がします…。

深いやさしさと愛情に包まれていたなぁ、と感じるとき、ネガティブな気持ちが
溶け出すように、涙がポロポロです。
ありがとうございました。 


 ~ ~ ~

人は気付くと見え方や考え方も大きく変わります。

自分の凍った心を溶かしてくれるのが優しさであり愛です。

動物には本当に愛があります。

動物の心には疑いはないでしょうしね。


人はどうして考えて悩んでしまうのか・・・・

それは前回お話しましたように悪い事ではないのです。

もうひとつの見方をすれば

魂が『肉体』というものを持って『生きる大切さ』を学ぶために

必死で生きるのだと思います。

自分が知るべき事を学ぶためであるともいえます。


人は色々と悩んだり、挫折したりと転ぶ事ばかりで

遠回りはするけれどその分『得たもの』は大きいと思います。


人間の身体は『魂』が入るための肉体であって

『永遠』ではありません。

人は平等に『死』が訪れます。

それまでに人は諦めず生き続けなければなりません。

それが『魂』の求める事なのです。


頑張ればきっと『待っている』ものに出会い幸せを感じるときが

きっときます。。。(諦めなければです!)


人は生きる事で幸せを見つけていくのでしょうね・・・

2007-04-18

人ってほんとうに『頭』で考える生き物なのですね(笑)

人間は心で思っている事が『自分の気持ち』であり

頭で考えている事は『否定している』事なのですね。

心では「ありがとうー」って思っていてもプライドとかが邪魔をして

「ふん!大きなお世話!」って言ってみたり・・

言われた方もだけれど、言った本人も心では「しまった~」と思っているものなのですね。


さて、『頭で考える』ということはを悪い事?なのか??

いえ、決してそうではありません。

頭で考えるとは『脳』であります。つまり脳は『肉体の司令塔』

人間としての『自分』を守るためであって、悪気があるのではないのです。


でも現在のように『人』が信じられなくなってしまい

何が起こるかわからない。そして虐めがあったりして

人の心が消えていく時代の中でそうなったのかも知れません。

つまり「生きていくため」に必死に考える結果だといえます。


でもその習慣がついてしまい、『信じられる人』までも信じられなくなって

しまうという事も起こります。

そうなってしまえば・・・人というものは『孤立』してしいます。

鳳香がブログに書いていたように、どんなに嫌な人でも「いいところ」があります。

そのいいところを探すのが『楽しみ』だと言ってましたよね。


人が人と触れ合うことはとても大事。

すべての人と人間は合うわけではないっす。

そんなに八方美人になっても人との付き合いが増えて大変なだけです。

人はそれぞれ『抱えられる量』がありますから

その許容量を超えてはいけません。ほどほどに。


まず人よりも『自分』というものを信じられることも大事かも。

自分を信じられなかったら他人もなおさら信じられないっすよね。


どんなに自分を追いやっても、最後は『求めている』のですね。

死にたい死にたい・・・といっても、いざ死に直面すると慌てたりします。

そういう時ってのが『本性』といえます。


どんな人でも必ず世の中に『信じられる人』がいるはずです。

それが、どこか遠くにいるかもしれません。

しかし諦めないことです。そうすればきっと現れるのです。


前回生まれ変わりで『ペア』という存在もありますが

よく生まれ変わりの中で必ず助けてくれる存在、親子や家族などの存在が

必ず周りにあります。

すべてがそうだと言い切れませんが、ほぼそのパターンだといえます。

人により人生の選択はさまざまですから。


さて、頭と心。どちらも正しいんです。

心だけを取ってしまえば単なるお人よしになっちまいますかな(笑)


いつも言う『陰陽』であって両方のバランスを取れているといいのです。

だからどちらも『正しい』として両方を受け入れて

自分の心が『うれしい』と思うことを受け入れればいいのではないでしょうか。

人の心というものは正しいものを受け入れます。


自分に合わないものはしっかり拒否するものなのです。

だから自分の『心』というものもしっかり信じて欲しいっです。


中間ってのが大事なのですよね。

どちらか片方ってのはありえないといえます。


だから何かを買う状況で『頭』ではいやーーどうかなーー?と考える。

しかし自分の本心としては『欲しいなあ』と強く思う。

で両方天秤にかけて『欲しい』という気持ちが大きければ

買ってしまう・・・それはよくある普通の出来事。


通常物は『頭が買う』わけではないのですね。

欲しいものを買って自分(心)が喜ぶから欲しいんです。

これが『本心』ですよね。欲でもありますが。


これが『未知なもの』『知らない人・嫌いな人』では

心の方でも「不信」なのであります。

だから速攻で拒否します。


しかし・・中には『例外』があり、心の奥底から

「ありがとう・・」「やっとあえた・・」など

今の自分でない過去の記憶が出てきたりします。


ここでどうしてこういう過去の記憶が出てくるのか??

それは「今もこだわっている」からです。

そういうわからない事は信じなくても

自分の記憶のない『こだわり』は崩さないっていうのは

過去の自分がこだわっていると同時に今の自分もこだわっているということなのです。


もし今の自分がそういうものはわからない、こだわらないと思うのなら

今の自分のこだわりも(今世ではその理由が見当たらないもの)捨てていいと思うのですね。

つまり人間とは『辛い事』部分は本能的にわかっているので

あえて自分の前世・・いちばん苦しい部分を見たく無いのです。

解っているから・・・『拒否』しているともいえるのです。


拒否する人ほど・・・『それを感じている』といえるのかもしれませんね。

つまりあーだこーだと考えるより『心の求めているもの』に対して

自分で気がつき進む事でしか『解決』はできないものであるといえます。


前世を信じない人はそれはそれで自由ですから

どう受け止めるかは・・・自分次第だといえます。


結局は『自分』に帰ってくる事ですからね。

自分の心を信じないとイライラしたり気持ちが優れなかったり

感情が不安定になるようでありますよ。

最後に先日のお会いした方からのメール一部抜粋

*****

私も相当頭が固いみたいで(笑)、
そんな感情が湧いてきても『気のせい!』『妄想癖!』と認めたくない気持ちがでてくる。

否定すれば否定する程、しんどくてイライラ(-_-;)
そんな時に、鳳香さんが**さんに宛てて書いてたコメント見て、
何故か私までスーッと楽になって…

**ゃんに、『ゆっくり歩いていこうね』ってメールもらって、
焦っていた自分に気付きました。

早く『原因』を知って、ハードル越えなきゃ!過去より今が大事やねんから!
…と思っていたけど、その過去を受け入れられてこその今、未来なんですよね。

**ちゃんに会って、私は楽になれて終わるんだと思っていたけど、
これは始まりでもあるんですね。

でも試練の始まりではなく、課題でもあるけど『幸せ』になるためだから、
頭と心のバランスで身体はしんどいけれど、心は喜んでいる感じ。

たみさんの『過去がどうこうよりも、今こうして楽しく会えたらいい』という
言葉の意味、私の心の中で分かる気がします(*^_^*)

2007-04-13

人間というもの


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ふと日常を見ていて思った事です。

最近とある方からのメールとか(浄化塩の効力とか)で

ふと気がついた事があります。

人の『本質』というものです。


地球上にはあらゆる人間というか民族がいます。

それぞれの国の考え方、宗教の考え方で生きているといえます。

例えばアメリカや敵対するイランの抵抗勢力とか。

それぞれがそれぞれの主張を求めているだけだと皆さんはお分かりと思います。

ただそれぞれの民族性や宗教の形で悲劇が起こっているといえます。


自爆テロやアメリカの武装による制圧も言い換えれば『同じ』名のかもですね。

ずーーっと根本を見てください。

それぞれが自国を愛するから。

突き詰めていけば愛する家族を守りたいからです。

愛する家族を守るために「殺しあう」という矛盾に

人間は気がつかなければいけないのですね。

人の命を奪うがために『悲劇』は永遠と繰り返されるのです。


日本も第二次世界大戦で参戦しアメリカと戦い大くの若い命が失われました。

それもほとんどが国の教える「わが国を守るため」そして『家族を守るため』と

死にたくないのに、『神風特攻隊』として若い優秀な命が散ったことでしょう。


鹿児島に『知覧基地』があり神風特攻隊が出陣した場所に

今も記念館があります。

知覧平和特攻記念館

もし近くへ行かれる事があれば是非尋ねて欲しい場所です。

若い特攻隊員が残した両親に当てた手紙などが展示されています。


国を守るためにと若くして散った命・・・

親に当てたものは「先立つ不幸をお許しください」と綴ったものであると思います。

しかしその時代の国政によりそれが『常識』だった時代であったでしょうが

やはり『人』というものは『心』を持っています。

『矛盾』を感じたとしても、現実に敵国が自国を攻撃してくる・・・

それに対して「戦う」事でしか対応できなかったのだと思います。


硫黄島の題材で映画になった話を

『平和への道標』

それぞれの立場から作られたもので、正しい見方だと。

そういう経験を通して私たちは学ばなければいけないのだと思います。


さて、知覧特効記念館にある特攻隊員の最後の手記は

『心から書いたもの』であるといえます。

国策により洗脳された部分も確かにあるでしょう。しかし・・・

それをさせたのはもっと深い部分である『守りたい』

という気持ちであると思うのですね。


方法は間違っているとは思います。

しかしこうやって見ると今の世の中でも自爆テロなどがあります。

でもそれは『国策』や『宗教的』なものが表面に見えますが

実際現場に立っている兵士たちはどうでしょう??


国のために・・家族のために・・と、死を覚悟してでも

人を守ろうというものであるのではないでしょうか?

国などはそういう部分を利用して人を戦争へ駆り立てたといえるのだと思います。


人はどうして戦うのか??

それを見て行くとやはり『守りたいもの』があるからではないでしょうか。

で・・あればです。


盲点として『自分の周りだけ』を守りたいからそうなるのでしょうね。

人として人を守る・・・つまり道徳でいわれている『人の命は大事』である

という部分をしっかり本当に学べは戦争なんて起こらないのですよね。


しかし・・・哀しいかな人間は『情報』で惑わされているといえます。


ここで最初の『浄化塩の効力』で気がついた事。

自分の欲や、霊的なもの、人間の魂そのものはだれでも本当は

『綺麗な魂』であるということ。


暴力的な人、暴言を吐く人、そういう人が浄化塩・入浴剤を使ったら

考えられないほど普通になって優しくなったと言う報告。


やはり人間って本来は優しい愛のあふれる人だという事。

それを消してしまっているのは・・・・


欲や攻撃性で本来の自分の心が抑えられてしまい

自分の『心』が抑えられてしまっているからだといえます。


現実に人間は環境を破壊して、戦争をして欲のままに生きている・・・

しかし・・・映画やドラマでは

正しい『ヒーロー』を求めるのです。

それはどうしてか??

現実にないから『仮想現実』の世界で求めるのかもしれません。


そうでなくて・・・

人間そのものがみんな『ヒーロー』にならなければいけないのかも・・・

映画のように素晴らしいヒーローではないと思います。


ちいさなちいさなヒーローであればいいのだと思うのです。

誰も気がつかないものもありますよね。

地球のためにと資源を無駄遣いしない・・・水を汚さない・・・


つまり「正しいヒーロー」であればいいのではないでしょうか?

ま、自己満足であるといわれればそれまでですが・・・


人は誰でも優しくあるということ・・

それを人間ひとりひとりが自分の心の中に強く持って欲しいと思うのです。


それを『敵』である人に敵意として向けるのでなく

その人も自分や何かを守りたいから敵対するのであって

敵対するから『悪』ではないのだと思います。


そうして見れば・・・解決の道が見えるのかもしれませんね・・・


人間は誰でも『愛』を持っているということなのでしょうね。


ちなみに後ろにいる辯財天や毘沙門天、不動明王、攻撃系の神がいますが

悪霊に対して『憎くて』戦っているのではありません。

『正しい心を取り戻して欲しい』から戦うのです。

だから必死に戦っているのですよね・・・・



癒しランキング只今第12位
どーーーかぽちっと!!!(おしてくださいまし・・・・)

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